2017年2月13日月曜日

「学ぶ」か「思う」か、教育の目的が微妙に違う

論語の有名な一節に「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し。」とある。

日本と米国の小学校教育を見てきて、日米での学校教育の焦点の違いを最近強く感じる。

日本では、入試制度からして、学ぶ方が重視されている。まずは大量の知識を暗記できるかどうか。その上で、持っている知識を応用して机上の問題を解く。が、この応用の仕方も記憶に頼る部分がほとんど。大学受験までこの能力を磨くことが求められる。

一方、アメリカでは、「思う」方が優先だ。各学年で学ぶ事項を定めたCommon Coreが最近できたものの、各学校、各教師に与えられた裁量が非常に大きい。理科の授業はプロジェクトが中心で、与えられたテーマの枠内で自分で何をどうするか考え、調べ、口頭発表&レポートで発表するのが中心。

この前の「発明」のテーマでも、「今まで誰も考えたことのないもの」を作り出すことが目標になる。

バス停での他の保護者との立ち話でも、知識偏重・暗記タイプの学習は、インターネット時代には不適切だ、とか、もっとプレゼンなどのコミュニケーションを重視した授業内容をするべき、といった話になる(教育熱心なお父さんだった)。

もちろん、日本でも社会科でグループでの調べ物学習や発表はあるし、アメリカでも記憶を試すペーパーテストがあって、点数が100点満点ででてくる。あくまで比重がどちらにあるか、というだけ。

なお自身は、授業の進め方に対してあまり選り好みはないらしく、どっちもどっち、といった感じの感想だった。

ただ、給食は間違いなく日本の方が美味しいそうだ。そして、休み時間に関しても、時間が長くて、外遊びを強制されない日本の小学校が好きだとか。

アメリカの小学校の自由なスタイル(Fun Fridayとか、毛布を持ち込んで読書ができるFun Reading Dayとか)も気に入っているようだけれど、決定打ではないらしい。



1年間過ごして、意外と全然アメリカナイズされずに帰ることになるのか、それとも日本の小学校に戻ってみて、逆カルチャーショックを感じることになるのか、どちらだろう。

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